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会計の歴史

ある経済主体が、経済活動を記録、集計、報告する手続きのことを会計といいますが、会計は、いつごろ誕生したのでしょうか。

目次

近・現代

現代の経済活動で、大きな役割を果たしているのが株式会社です。株式会社は、株主と呼ばれる出資者が資金を提供し、経営者がその資金を利用して、経済活動を行う組織のことです。

株式会社の所有者は出資者である株主ですが、基本的に経営には参加せず、経営のプロである経営者が株式会社の活動の舵取りを担います。これを所有と経営の分離といいます。もちろん株主が経営者となることもありますので、必ずしも所有と経営が分離されているわけではありません。むしろ中小企業が大部分を占める我が国においては、所有と経営が一致していることの方が多いですね。

現代の株式会社では、主に経理部と呼ばれる部署で、会社の経済活動が貨幣額によって記録されます。この記録する行為を会計処理といいます。

現在、株式会社では、各種法律によって会計処理が義務付けられています。株式会社以外の会社や個人事業の場合でも会計処理が義務付けられています。また、営利(お金儲け)を目的としていなかったとしても、会員などから資金を集めている組織には、会計処理が義務付けられる場合があります。


我が国で最初の株式会社は、坂本龍馬が設立した亀山社中(のちの海援隊)とされています。

亀山社中には、福井藩主の松平春嶽(まつだいらしゅんがく)が出資者となって資金が提供されました。亀山社中が儲けた利益から配当が支払われていたというのですから、現在の株式会社と同じ仕組みになっていたことがわかりますね。

亀山社中が出資者に配当を支払っていたということは、商売でどれだけの儲け(利益)が出たのかを出資者に報告していたと考えられます。儲けがどれだけ出たのかを集計するためには、日々の取引を記録した帳簿がなければできません。

つまり、坂本龍馬が活躍していた江戸時代末期には、すでに我が国に会計が存在していたことになるのです。


明治時代になると、岩崎弥太郎が三菱商会を設立するなど、我が国の経済活動が活発化します。また、明治時代に貨幣経済が発達したことから、企業活動を貨幣額で記録する会計が重要性を増したことも容易に想像できます。

ただ、我が国の戦前の会計制度は、個々の企業によって会計処理が異なっていたため統一性がないという問題がありました。そこで、昭和24年(1949年)に企業会計原則が設定され、企業会計制度の改善統一がなされることになりました。

現代の我が国会計制度の始まりは、この時からと考えられます。

江戸時代

江戸時代は、貨幣が流通していたとはいっても、現代のような本格的な貨幣経済ではありませんでした。税は年貢と呼ばれ、農民は毎年決められた量の米を納めることが義務付けられていました。

士農工商という身分制度があったことからわかるように江戸時代には商人がいました。商人はその名の通り、商品を売ってその対価としてお金を受け取っていたわけです。当然、売った商品の数や受け取ったお金の記録集計が行われていたでしょうから、この時代にも会計が存在していたことが想像できます。

また、農民にしても田んぼの面積に応じて、毎年どれだけの年貢を納めなければならないか決まっていたわけですから、秋になると、どれだけの米を収穫できたのか集計して、決められた年貢を納めていたと考えられます。貨幣ではありませんが、米の収穫高を計算する行為も立派な会計と言えますね。

奈良時代から安土桃山時代

江戸時代よりも前の時代となると、貨幣経済はほとんど発展していませんでした。自給自足の生活となるわけですが、物と物との交換は行われていました。当時は、米が貨幣の代わりとして使われていたので、物の価値は米の量で測られていました。

すべての人が、交換した物と物を実際に記録として残していたわけではないでしょうが、取引が行われる際には、自分が相手に渡す物と相手から自分が受け取る物との価値が同じであることを計算していたことでしょう。記録はなくとも受け取った物と出て行った物の把握ができていたのなら、そこに会計が存在していたのではないかと考えられます。

古代

我が国の古代は、農耕が経済の中心だったと考えられています。人が共同して田植えをしたり畑を耕したりしていたのなら、何らかの基準で収穫物の分配が行われていたでしょう。その際には、収穫物を集計する作業が行われたはずですから、ここに会計があったと考えられます。そして、農耕に従事した人々に今年の収穫高がどれだけあったかを報告し、各人に分配されていたのではないでしょうか。

また、穀物は貯蔵ができるので、来年の秋の収穫まで、少しずつ食べていたはずです。そうすると、毎日の食事の際にどれだけの穀物を消費したのか、そして、穀物はあとどれだけ残っているのかを把握していたに違いありません。このように食料の消費量を計算し、残高を把握しておく行為も会計といえます。

原始時代

原始時代は、狩りで生計をたてていたと考えられています。大きな獲物なら、一人では仕留めることができないので、共同で狩りをしていたのではないでしょうか。そうすると仕留めた獲物の肉は、家族の人数や働きを考慮して分配されていたと考えられます。

肉を等分に切り分け、各人に分配するという行為だって立派な会計といえます。

まとめ

このようにどの時代でも人が経済活動を営む際には、必ず物の数量の把握や集計といった行為が行われます。たとえ貨幣がなかったとしても、それに代わる経済価値を測る尺度が存在し、物の分配が行われていたことを考えると、いつの時代にも会計が存在していたと考えられますね。

ただ、会計のルールは普遍的なものではなく、時代によって変化するものであり、それは国によっても異なってきます。

それが、会計基準が、会計実務の中に慣習として発達したものの中から一般に公正妥当と認められたところを要約したものとなっている理由なのです。